久々の投稿も、実は前ブログ(MSN)の使いまわし&季節はずれネタ orz

 ゆ、許してくれ!本当にネタがないんだ!
あと、一部「ん?」と思われるところがあると思いますが、思い切って目をつぶってください。・・書き直すなんてめんどくさいじゃな  シゴトセンカイ( #゚д゚)=○)゚Д)グフ・・  いですか。マジで。

title「国家と宗教、どうなる日米」
 周知の通り、現在日本では国の政(まつりごと)にいかなる宗教的エッセンスも交えてはならないというのが定まっている。こう書くと、少々語弊があるように思われるが、少し考えてみれば分かるとおりで、実際はこの言葉通りなのである。無事にこの一年の国会が終わるようにと坊主が議事堂で読経をあげるわけにもいかず、証人喚問の前に賛美歌を一曲というのもチトおかしいし、滑稽ではあるがそれは国のあるべき姿ではないと思う。また、予算審議の最中に時間だからと、大臣がマットを地べたに敷いてイスラムのお祈りを唱えるのもどうかと思うであろう。国は宗教と離れるのが妥当であろうし、それが一番自然体とみえる。
 このため(まぁ、それだけでなく中国や韓国の様子も伺ってのことだが)、靖国神社に代わる新しい慰霊施設(宗教にとらわれない、というもの)を作ろうという動きが一部で起こっている。これに関しては賛否両論あるが、靖国参拝の目的が神社の参拝というところにあるのでなく、過去に起きた戦争で戦死した先人への慰霊というところにある以上、これは国と宗教の結合ではないように思う。現在の日本国民が様々な宗教を信仰しているのは明白な事実で、旧来の国家神道に則した靖国神社への参拝に賛成できないとする意見が十分に想定される以上、新たな慰霊施設の創設を頭ごなしに反対することはできないが、それで話がすべて済むというものでもないように思える。根本的解決の非常に難しい問題ではあるが、だからこそその場しのぎという態度でなく、真剣に熟考してほしい、日本国の一市民として思う。
 話を本筋に戻そう。この記事を書くちょっと(いや、だいぶ)前、日付が変わってクリスマスイヴからクリスマスになった。これは、よく目にする表記としては"X'mas"なのだが、ご承知の方もいらっしゃるであろう。もうひとつの表記は"Christmas"であり、どちらもキリストの降誕祭なのである。(ちなみに略称のほうはというと、Xはキリストのギリシア表記"Xristos"によるもの、masは祭日の意味を持つ。)そう、これはキリスト教徒の祭日なのであり、他宗教の人間からすれば、何ゆえ"Christmas"なのかと文句のひとつもつけたくなるネーミングなのである。
 これに対して米国ブッシュ大統領は、彼の贈ったクリスマスカード(表記に問題があるとは思うが、ここは今回に限りご了承願いたい)に一切、「クリスマス」「Christmas」「X'mas」の表記を使用せず、「Happy Holidays」という表記を一貫して使用した。これは多民族国家内における、キリスト教以外の信仰者に対する配慮という解釈が妥当であると思うし、そうであってほしい。しかしこのことに対して米国内では、一部の議員は、「アメリカはキリスト教主義の国なのであり、わざわざその表記に変更する必要はない」などと、反対の意を表明した。今後の動向が気になるところである。
 日本は信教の自由などの諸事由により、国教を定めていない。これにより日本は、政治と宗教の分離(政教分離)が比較的進んでいるように思えるし、努力しだいではほぼ完全な分離もできよう。しかし、かつてのローマ帝国や現在のイスラム国家や米国など、宗教と(密接に)かかわりあっている国はどうすればよいのか?21世紀の人類の課題として、今後も盛んに意見が交わされることであろう。

〜後記〜
2006年1月6日掲載記事を再編集したもの。